皇室と大相撲に共通する、「伝統」の認識の違いとは
先日でしたか、「朝まで生テレビ」にて、皇室とか何とかうーちゃらというテーマの討論をやっていました。田原さんの歯切れの悪さ(おじゃわしゃんが=小沢さんが)や、小沢遼子の姿勢の悪さははいつものことで、愚だ愚だと思いきや、しょっぱなから「皇室・天皇・それに関する帝王学はこうあるべき」という某評論家の持論が火をつけ、やはりというべきか、プリンセステンコー・・・もとい。雅子さまの問題に発展した。
今回のブログテーマではないためさらっと言うが、雅子さまは適応障害といううより「うつ」であり、ゲンダイ特有の、職場や皇室では体調を崩すが、それらから離れた場所、海外などで長期静養が望ましいという意見と、「皇室としていかがなものか」「皇太子として、欠如にかけている」むねの云々を並べ始めたところで寝てしまったが、ようはむかしからの人は今の皇室のあり方に「面白くない」んだろう。
これを、昨今の角界や政界とからめるとまるでおもろく共通している。皇室が、「今の皇位継承論を更に進めるべき」「雅子さまを本当に次期皇后としてふさわしいと、皇太子は判断したのか」というのと、「外国人力士のあり方を見直すべき」「朝青龍の横綱としての品格」という点。
まさかむかしのように、学校に祠を建てて朝会で一礼し、万歳三唱しろとまでは行かないにしろ、欧米の皇室ような「皇族が一企業で働いたり、気軽に接すること」に矛盾があるのでしょうか。また、宮内庁発表前に情報が漏れる今のあり方なども、やはり矛盾なのでしょうか。皇室として、「菊のカーテン」が、特に平成に入ってからオイラとしては薄くなった気はする反面、ややそのいちいちに過剰に反応する反骨分子的人物がいる気がします。
まさかむかしのように、学校に祠を建てて朝会で一礼し、万歳三唱しろとまでは行かないにしろ、欧米の皇室ような「皇族が一企業で働いたり、気軽に接すること」に矛盾があるのでしょうか。また、宮内庁発表前に情報が漏れる今のあり方なども、やはり矛盾なのでしょうか。皇室として、「菊のカーテン」が、特に平成に入ってからオイラとしては薄くなった気はする反面、ややそのいちいちに過剰に反応する反骨分子的人物がいる気がします。
大相撲もまた、朝青龍の品格問題が続き、最近も髷なし写真やとんぼ返りなど。また、現役力士逮捕や死亡事件。親方の理事会決定判子と、やはり好角家(大相撲愛好者のこと)などから見ればありえないことが多すぎている。