その一言が、命取りにならぬよう。ひぐらしのなくころまでには・・・(;゚д゚)(つд⊂)ゴシゴシ
あした施設の花見。あめっぽいなぁ。天気予報も這っておこう♪ええぃーやぁきみから貰いゲ・・・やめた。(^^;) ん~。巷では、デーモン小暮閣下(仮の姿のときの姉は、元TBS小暮記者)のサイトでの、閣下の言葉における注意が話題になっている。これを、おいらが思っていることと照らし合わせ、おいらの率直な意見をこうこうと昨日書いたのだが、なんか回線がアクシデントで切れてしまい、改めて送る。ただ、あの文章書けるかナァ。内容は・・・
閣下の意見は「感性」というものは人それぞれであり、芸能や芸術の分野での好き嫌いは十人十色であるというもの。自分の感性に合わなかった作品があったとしても、それは誰かの不手際や不心得によってそうなったわけではないという。
だからこそ、心の中で「自分の趣味と違う」と思ったり、内輪でその話をすることは構わないが、「気に入らない」ということを不特定多数にアピールすることは、「作品や作者に対して大変な侮辱であり、了見の狭い者、程度の低い者のすることだ」という。
だが、コンサート等で結構な金額を払った時に「これしかやらないの?」「そんなミスしでかすのかオマエは?」等の「プロにあるまじき内容」を見せられ不満を持った時はブーイング等で不満の気持ちを示すのは良いのだという。
好き嫌いの問題で批判するのと、明らかに手落ちがある(努力してない)にもかかわらず、高い金取ったため批判されることの違いとでも言えよう。
そして、最後に閣下は「言葉」には思った以上に力があるもので、「安易に思いついた言葉を使用すると、自分にはそんなつもりがなくても相手を傷つけている場合があるので、ブログなんかをやっている者も、注意した方が良いぞ」と注意を促した。
まぁ、コンサートの事例は、どうも~この~先にトラブルになった「卍日本」とかいう団体の、都心にある大きなビニールハウスの中で三日間やった復活演奏会を指しているような。(あえて遠まわし。)
ただ、言葉は本当に力があるというのは明らかだ。最近「K.Y」空気よめないと言うのがあるが、これは本来例えばお見舞いなどで患者が物が食えないのに、脇でカップめんをすすっているとか、静かな場においてケータイなんぞ鳴らすやつの事を指すわけで、デーモン閣下の初めの文章のように、あいつが気に入らないとか、俺はこうしたいからみんなもこうしろと言い、一人違うことをしようとするのを、言葉などによる、ここで言う「おまえはKYだ!」と決め付けて批判するのはお門違いとオイラは常に思う。
学校には校則、会社には社訓やルール、社会には憲法や法律・条令や取り決めがあり、それを取り乱すのを「空気が読めない」と言うわけであり、人と違う発言や行動に対して、その人の考えや思考・個性であり、それがルールに反しているときに始めて注意できるわけで、周りがYESだからおまえも従えとは違うと思う。場合にも寄るが。
それがとりわけ、内輪ネタや悪ふざけぎりぎりの芸を見せるお笑い芸人主体の番組が、子どもたちに影響を与えているかと言うことにも、大人が敏感になるひとつのきっかけではなかろうかとおいらは考える。否定はしません。楽しんでいる人が要るわけであり、この場で否定しては実もふたもなく、とりわけそれを見て笑っているおいらもいるからである。
まぁこれは昨今の国会にも言えることであり、中国とチベット、鯨問題、オイラの桃色円盤又買ったなとちゃめにつきとめられ事件にも当てはまる気がする。オイラのはどうでもいいが。