「キンカン・素人民謡名人戦」です。これはまんま、かつて毎日放送にあった「素人名人会」の民謡版。フジテレビで1961年2月14日から1993年5月29日までの毎週土曜日(時間はかなり変更。地域別あり)に製薬会社・金冠堂(キンカン本舗)が単独提供して放送された素人参加民謡番組であります。この中途半端な5月29日終了は、60人目の名人誕生がその日なため。この番組みから、大塚文雄・原田直之・暴れよされの岸千恵子が有名に。ちなみにいすゞ(日野かも)提供の民謡キャラバン番組(テレビトウキョウ)でチャンピオンになったのは金沢文・・・それは桃色!、金沢明子。イエローサブマリンのカバーや、蝋燭の火をゆらさずうたえるとかのCM
一部ウイキペティアより抜擢
一部ウイキペティアより抜擢
提供していた金冠堂の創業者・山崎栄二が民謡好きだったことで始まったこの番組は、日本各地に伝承する民謡を広く全国の視聴者に知ってもらうとともに、民謡歌手の発掘・育成を目指して行うコンテスト番組で、毎週6人の参加者がその自慢ののどを競い合い、その中から2名が月末に行われる準決勝(1名のみ勝ち抜け)を経て、半年に一度行われる決勝戦に出場するというものだった。よく客席の前列で見ていましたな。たしか株主総会も会長が、「我が社の総力をあげてこの番組を~」が決まり文句で、その後踊りとかが披露されていましたな。たしか。
司会はスタート当初から長らく漫談家の三和完児が務めたが、1976年に不祥事を起こし急遽降板。その後、桂米丸・高崎一郎らが毎回週替りで代理司会を務めた後、鈴木ヤスシ(きのう間違えました。)→江戸家小猫と引き継がれた。
なお、番組の中盤には民謡歌手によるゲストコーナー、後半の審査発表の前にはスタジオ観覧者が自慢ののどを披露する「飛び入りコーナー」もあった。中には飛び入りコーナーの合格者から本戦に出場した人もいるが、鉦が鳴ったら不合格、太鼓が鳴ったら合格となった。また、鈴木が司会をしていた頃、全員不合格となった時に合格のたすきを床に叩き付けて投げ捨てていたことは大変有名。
なお、番組の中盤には民謡歌手によるゲストコーナー、後半の審査発表の前にはスタジオ観覧者が自慢ののどを披露する「飛び入りコーナー」もあった。中には飛び入りコーナーの合格者から本戦に出場した人もいるが、鉦が鳴ったら不合格、太鼓が鳴ったら合格となった。また、鈴木が司会をしていた頃、全員不合格となった時に合格のたすきを床に叩き付けて投げ捨てていたことは大変有名。
佐藤松子先生が一番厳しく、一緒に審査していた男の方がかつてNHKラジオで、
夏休みとかは子ども大会で、点数でなく、王冠のランプがついた子が優勝でしたな。
今は素人と玄人の違いがあいまいで、素人芸でも玄人なみにテレビとかで芸をしている。芸人はそうじゃなくて、あくまで玄人として俺はこれしかできないんだと言う、俺にしか出来ない・極めた人が始めて名乗れるものだと思うので、あえてあの番組では厳しくした
と語っていたのを聞いたことがあります。夏休みとかは子ども大会で、点数でなく、王冠のランプがついた子が優勝でしたな。