つぶし合いほど醜いものはない。
ちょっと前のこーだくみ(漢字めんどくせー)、現在はなんかしょこたんが槍玉に挙げられる「発言」について。更には中国、重慶でのサッカーの日本代表や、ヤフー知恵袋での質問(中学校で小遣いが5万円がどーのこーの)。
ここに、こういった「炎上(批判の嵐)」やクレーム、「祭り(2ちゃんねるにおいて、そのスレットがいくつも立つこと)」等への対処になるかどうかはべつとして、一つの例がある。鳥インフルエンザ騒動のとある農園の対応に、フリージャーナリストの下村健一さんのコラムから抜擢させていただいた。
[[http://www.ken1.tv/hojinu/wadai/japan_040303.html]]
読めないケータイの人のために記すると
2004年3月3日。鳥インフルエンザ事件で浅田農産に対するメディアのバッシング激しいさなか、自身のウェブサイトで「鳥インフルエンザの浅田農産会見を敢えて評価する」というタイトルの記事を書いている。そのなかで「世間から"叩かれる"立場にいる人がここまで率直に語っている会見は、稀有だと思う。なるべく無難な模範回答で逃げて、ひたすら頭を下げ続けて、嵐が頭上を通り過ぎるのを待とうというテクニック(マスコミに叩かれる立場に立った企業・公人などが演じる常套手段)を弄さず、質問攻めの火に油を注ぐことをも厭わず直球で答え続けた浅田農産のその姿勢を、この逆風下で敢えて僕は評価したい。
(中略)失敗が重大であるからこそ、この会見の姿勢は、評価すべきなのだ。」と書いた。しかしこのエールの甲斐もなく浅田夫妻は自殺してしまった。ドキュメンタリー作家森達也は「下村さんのHPのメッセージ、全文読みました。今のこの世界に下村さんがいることが、涙が出るほど嬉しい(大袈裟かな。でも本当です)。彼がどんな思いで首にロープを巻いたのか?最後にどんな言葉を老妻と交わしたのか?…自らを主語として想像できるメディアがあるのだろうか?…つらいです。」と書いている。
結果は残念にしろ、叩くほうは「鬱憤晴らし」しか過ぎず、叩かれるほうは何を言っても叩かれる今の世の中は恐ろしさもある。あんなラフプレーを喜ぶ人民は少数と思うものの、五輪という国際イベントを控えてどうなのだろうか。親子2人が寒い太平洋の海に漂う中、人ごとのような防衛省の対応。(毒物混入が)自分のせいにしたくない公安。テメーんとこの都合で独立を認めない国。支援を頼んでも聞き入れてくれなかったのに、趣旨が変わるからとどんな支援が要るのかいまさら聞く福祉。
いやいや、もう一つ個人的に。木久扇師匠が近々こちらに独演会で訪れ、主催者側を通じてお会いしたい旨を伝えたうえで、こちらもただごあいさつのメールを送っただけなのに、勝手にこっちが直接交渉したと解釈されてカチンと来ております(その電話に出た施設長もカチンと来たらしい)。
先日の立川談志師匠のラジオでないが、「ばばぁはしょうがねぇやぁ」ですか。何で元学校の先生とか何かの理事とかの人って、上からものをいうような感じになるんでしょうかね。自分の非を認めずに。
先日の立川談志師匠のラジオでないが、「ばばぁはしょうがねぇやぁ」ですか。何で元学校の先生とか何かの理事とかの人って、上からものをいうような感じになるんでしょうかね。自分の非を認めずに。