夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

日本の言い分と世界標準

世界柔道で考える

 オイラの実家にあるこの今使用しているパソコンは、「フォントソフト」とか「セキュリティソフト」の性か、かなり読み込みがおもいおもい。付き合って五年なりますが、施設で使っているのがデスクトップなだけに、買い換えたい気持ちにさらさらと。かねないし。(T_T)

 ブラジルでの「世界柔道」も、おにぎりのような齋藤監督の「おにぎりサンバ」の踊りのような抗議や身振り手振りの指示のおかげで、谷・棟方・塚田などが金を取り、何とか面目を保ちました。
 しかしことを振り返れば、鈴木や井上などの戦いのように、不可解な判定の多い大会となり、それがおきるたびに、齋藤監督が広告看板からおにぎりコロリン~とおっこちて(乗り越えて)、サンバのごとく身振り手振りのこうぎが目立ちました。しかし、「柔道」は、もはや「JUDO」になって久しい昨今。アレが「世界標準になった」としか言いようがありません。
 本来からみれば、技をかけた時点で、相手が体勢的に返せない格好であれば、大相撲でも「勝ち」となるわけですが、今のJUDOは、倒される寸前でも、空中で返して落ちる際に相手の背中がつけば勝ちにつながるようなルールのような気がします。なぜか。それは「テレビ受けして判りやすい」から。
 大相撲でも、かつて朝青龍琴ノ若(現佐渡ヶ嶽親方)の取り組みの際、四つんばい寸前の琴ノ若に、死に体の朝青龍が、ぶら下がって残す珍事がありました。(プロレスのミラノコレクションATのように後に倒れそうで残す体勢)当然朝青龍からすれば、「俺はアレでも残せる。モンゴル相撲なら当たり前田のクラッカーだ!」である。更に言えば、昨日も放送していたが、「北の富士vs貴ノ花」の、つきて・かばいても、流れで言えば本来貴ノ花が中学時代までやってきた水泳のターンのようなものであり、しいて言えば「バックドロップ」か「フロントスープレックス」である。わかんないだろうけど。
 とにかく、日本の伝統や、日本のおかれる立場は時代とともに絶えず変化している。拉致問題も、対話と圧力だけで、六カ国協議のメンバーとしてといいのか、或いは日本の立場を貫くべきか。
 ごっちゃにしてはいけないが、日本の立場は貫くべきだろう。その上で、国際的な流れをうまく把握していくことも、また大切なのではないかな。「田村で金・谷で金。ママになっても金。」というと次は・・・「離婚しても金」かぁぁぁぁぁっ!