イラストの映画、見に行けなかったのですが先日WOWOWでやっていまして、楽しませてもらった一方で、「やはり映画は映画館だよなぁ」という気持ちにも改めてなりましたね。
「ばか正直」「馬鹿の一つ覚え」とか、「ばか」はいろいろありますが、私が名前を付けさせていただいて早11年。林家木久扇師匠の特集があった。
落語家ではなく漫画家を目指していた
おかげさまで、林家木久扇といえば「バカ」というイメージが定着してくれています。「バカ」という言葉にはけなす意味もありますけど、「バカウマ」とか「今日はバカに調子がいい」といったプラスの意味もありますよね。本当にバカだったら言われるのは嫌ですけど、自分ではそうじゃないつもりなので、ぜんぜん気になりません。でも、バカのふりは一生懸命やり続けます。そのほうが儲かりますから。
地方の営業でも、司会から紹介されておもむろに登場するんじゃなくて、客席を通って、お客さんと握手したりおじいちゃんの肩なんか触ったりしながら出ていく。そうすると一気に雰囲気が温かくなります。噺(はなし)のマクラも「いやー、いきなり暑くなりましたよね」なんて世間話から始める。時間稼ぎという一面もありますけど、「いま」あったこと、「いま」お互いに感じていることを話すのが、生きた落語だと思うんですよね。
――漫画家から落語家というのは、異色の経歴です。
漫画家として失格と言われたわけじゃないので、素直に「それも面白そうだな」と思いました。先生は、どっちも生かせる道を考えてくださったようです。実際、落語をやりながら漫画や絵の仕事もやらせてもらってきましたから。仮に漫画だけの道に進んでいたら、ピークがあったとしてもせいぜい3年で、80歳まで仕事を続けていることはなかったでしょうね。落語の道に進ませてくださって、清水先生には本当に感謝しています。
『笑点』で問題を忘れるのは、長く映る「作戦」
あれはね、「作戦」なんです。「えーっと、何だっけ?」と聞き返したら、それだけ長くテレビに映っていられる。勝手に立ち上がるのも、その間は映してもらえるから。ただし、左右に動いちゃダメなんです。カメラが追ってくれない。最近は隣の林家三平さんの答えをけなすパターンもあるんですけど、三平さんに「どう反応すれば見る人に喜んでもらえて、長く映れるか、意識したほうがいいよ」って言ってるんです。
戦争で人間の残酷さ、命のはかなさを知った
1937年、東京・日本橋の雑貨問屋の息子として生まれた。比較的裕福だった生活は、空襲ですべてを焼かれて一変する。戦後すぐの苦しさが、いまの芸風につながっていると木久扇さんは語る。
戦争ですべて失って、子どもの頃からいろんな仕事をしてきました。新聞配達をしたり、映画館でアイスキャンディを売ったり。実家が雑貨問屋で夜になると父と番頭さんが毎日お金を数えてたから、お金を稼ぐのが一人前の大人だという思いもある。でも、がめつくはないつもりです。ものをもらってもすぐ人にあげちゃって、うちのカミさんに「誰に何をいただいたかわからなくなるでしょ。お礼言わなきゃいけないんだから!」って怒られちゃう。
落語には貧乏話がたくさんありますけど、本当に貧乏暮らしをしていそうな落語家が「たくあんは尻尾のところがオツで」なんて話をしたら、物悲しくて聞いてられません。本当はそれなりにステーキとかいいもの食べてるんだろうけど、高座では貧乏をリアルに語るのが芸だし、カッコいいと思う。インタビューで「ライバルは?」と聞かれたら、「先月の売り上げ」と答えています。一番好きな言葉は「入金」ですね。
お金へのこだわりを話しても、ユーモラスでほのぼのした印象を受けるのは、人柄のなせる業である。本当は貧乏ではないのに貧乏を語るのが芸であるのと同じように、バカではないのにバカを演じるのも、磨き上げた芸にほかならない。
バカは楽しいですよ。「あの人はバカだから」と思われたら、誰にも恨まれないし、みなさん仲良くしてくれます。ちょっとぐらい失敗しても「しょうがないなあ」で済んじゃう。「バカの力」は人間関係を円滑にしてくれます。ただ、人を傷付けるようなことを平気で言っちゃう「本物のバカ」には、なっちゃダメです。バカにされたくないとムキになるのも、かなり困った種類のバカですね。いや、私に言われてたら世話ないですけど。
今の日本には「バカ」が足りていない
最近はなんだか窮屈な世の中になっていますよね。「生きづらさ」なんて言葉もよく目にします。電車に乗っていても、若い人がつまらなそうな顔をしてる。生きているのは面白いことのはずなのに、もったいないですよね。みなさん、バカが足りないんじゃないでしょうか。そりゃあ毎日いろんなことがありますけど、いちいちまともに受け止める必要はない。柳に風で、そよそよ吹かれてればいいんです。悩みや苦しみのほとんどは、考えてもどうにもならないことや、どっちでもいいことなんですから。
戦後の民主主義教育って、いい面もいっぱいあるけど、「みんな平等です」と教えたのはあんまりよくないですね。人間は平等ではありません。与えられた環境は人それぞれだし、得意不得意もある。人と同じものを欲しがるから、手に入らなくて腹が立ったり引け目を感じたりするんです。バカの得意技は、あんまり考えずにまず動き出しちゃうこと。自分にできることを見つけて、自分で人生を切り開いていく面白さを感じてほしいですね。与えてもらおう、正解を教えてもらおうと思っていても、楽しい人生にはなりません。
――昭和、平成と世の中を明るく盛り上げた林家木久扇さんが、令和の時代に持ち越した「宿題」はなんでしょうか。
落語家として、バカとして、たくさんの人に笑ってもらえた人生に悔いはありません。まだまだ元気ですから、令和ではバカの普及と育成に力を入れたいと思っています。
そのためにもやりたいのは、落語のアニメを作ること。落語はライブの芸だから、その場で消えちゃう。でも、今は映像で残すことができる。落語には昔から、小道具を使って盛り上げる芝居噺という手法がありました。今の技術と組み合わせた新しい形の落語があってもいいはずです。そういうのも、言葉遊びと絵を描くことの両方ができる自分の役割かなと思って。
アニメになれば、世界中に落語を広めることができます。矢が飛んできて「やあねえ」なんてのをアニメで表現できたら、小さな子どもたちもきっと飛びついてくれる。子どもの頃から落語に親しめば、人間に対する優しいまなざしみたいなものを覚えてくれて、丸みがあるっていうか、トゲトゲしない大人になってくれそうです。それこそ、バカのふりができるようになる。そういう大人を増やしたいですね。
いわゆる「能ある鷹は~」そのままの人だと思う。
実際名前を付けさせていただいた年に、たまたま鶴岡市に独演会に来られ、楽屋にあいさつに行って少しお話をさせていただきましたが、「馬鹿」というより、作法にきびしく、どことなく孤高を感じる人と見受けました。
実際に漫画家を目指してついていた師匠から、「おまえさん孤高になれ、けっして群れなすんなよ」といわれ、普段は帽子を深めにかぶって寡黙かつ群れずに歩いてらっしゃるとか。たしか「男はつらいよ」の渥美清もだったような。
それでいて弟子を叱るときはなぜ叱るのかをきちんと説明するらしいです。
笑点は一種の劇団。一人一人に個性を持たせてキャラを際立させていたのが今日まで続く秘訣かもしれませんな。
それに比べれば、悪い意味で個性もなく、悪い方の個性が出てしまったのが、今の政局かなぁ。